娘じゃなくて 嫁じゃなくて 「母ちゃん」 です

うつ病から双極性障害になった私が、夫と子ども達に支えられながら送る毎日の記録です。

母との距離感

数か月、母と話してもいないし会ってもいません。

 

母に対して「そんなこと言われても、嫌なんだよ…」という思いが少しずつ溜まっていくのに気づいていました。

それがあるきっかけで、嫌が拒絶に変化してしまいました。

 

母が重いとでも言うと、ニュアンスが似ています。

幼い時から、「ああしなさい。こうしなさい。」が当たり前で、母の言うことは正義だと信じていました。

「うるさいな。」と思いつつも、母の言う通りにすれば私は正しい道を歩くことができると思っていたんです。

 

母が正義だと信じていた私の心に、少しずつ?が増えてきたのは病気になってからでした。

 

私の実家は父方の祖母と同居していて、私が物心がついたころから祖母と母の仲は険悪でした。

父は出張で留守がち、祖母は私をも邪険に扱うので、母と「ばあちゃんは意地悪ばあさんだ」みたいな話でお互い慰めあっていた記憶があります。

 

母は私が結婚してからも、会うと開口一番に「ばあちゃんにこんなこと言われた。辛い。」と愚痴を言っていました。

母の辛さもわかっていたので、愚痴聞きは私の役目かな~くらいの軽い感じで聞くことができました。

 

だから私が病気になった時、母に心の内を話してみたんです。

ところが「そんなことくらいで…」と言われてしまいました。ショックでした。

 

病気になって、「辛かったでしょ。」と言ってほしかったし、聞いてほしかったんです。

 

母との関係に少しずつ違和感を感じ始めた頃に、観たドラマです。

 

お母さん、娘をやめていいですか? - Wikipedia

 

 

母と斉藤由貴さんの役が、同じに見えました。

 

以前からそうなのですが、母は自分からは連絡してきません。

私が電話をするか、月に2回ほど実家に行くかです(今ではそれもやめています)。

 

親が結婚した子どもの家に行くのがみっともない、と思っているようです。子どもが親の様子を伺うのが筋だ…とも思っています。

 

だから、私が連絡しなくなっても母からは音沙汰がありません。

 

何故こうなったのかも伝えましたが、泣かれました。「私は一生懸命してきたのに」と。

 

それは、母目線でやってきたことです。祖母にバカにされないように、ちゃんとした子どもを育てなければいけないというプレッシャーがあったんでしょう。

 

でも、子ども目線で見るととんでもない家でした。すべてにおいて制限があり、その中でしか生きられなかった。子どもを育てるというより、祖母にいろいろ言われないような子孫を育てるとでも言えばいいのでしょうか。

 

母は、そのことに気づいていません。祖母さえいなければと毒づきます。

 

人は許さないと前に進めない、と言う人がいます。私は母との関係に気づいてから、心が軽くなりました。

 

でも、母は祖母を許していない。そんな怨念じみた話を、会うたびに聞かされる私は、母と距離を置こうと決めました。

 

親だから、感情を共有することは正解じゃないんです。私は「母の親」じゃないんだとやっと気づきました。

 

母さん、ばあちゃんを許してやろうよ。