娘じゃなくて 嫁じゃなくて 「母ちゃん」 です

うつ病から双極性障害になった私が、夫と子ども達に支えられながら送る毎日の記録です。

子離れできない姑

私がうつ病になったきっかけは、姑の過干渉によるものでした。

 

結婚前からものすごくおしゃべりな人だなと思っていて、夫の話を「あんたはね、何も知らないから黙ってなさい」と言う人です。

 

結婚式の内容も、お客様の人数配分も、引き出物も、新婚旅行の行き先も、姑が「それでいいでしょ」と決めたとおりにしました。

 

舅は細かいことは全部人任せでそのくせ文句は言う、昔の男です。

 

結婚式のことや結婚してからの行事もそうなのですが、姑が全部決めます。母は「旦那さんの母親に任せておけば、うまくいくから」とニコニコとうなずくだけ。「そうすることが、あんたが幸せに生きていけるのよ」と。

 

子どもが産まれてからは、夫の実家に2か月ほど(子どもが産まれるたびに)里帰りをしました。これは「それがあんたの体の為にいいから」と強制です。

 

授乳の時に舅に覗かれたり、「1日中寝てええわな」と義兄に言われたり、産褥ナプキンをゴミに出させてもらえず、姑が火の番をする野焼きで焼かれたり、とてもじゃないけど「私の体の為」に休むことができる環境じゃなかった。

 

夫には言えませんでした。私にとっては他人でも、下品な人たちでも、夫はその人達と一緒に暮らしてきてそれが当たり前の生活をしてきています。

 

不思議なことに、夫は「本当にこの人達と家族か?」と思うほど紳士的で、人からも褒められる人です。

 

それは作り物ではなくて、夫本来の優しさなんです。だから、「あなたの家族には嫌になる」と言えませんでした。

 

なんだかんだ言いながら、私の出来が悪いから姑は口を出さずにはいられないんだな、と思うことが私の解決方法でした。

 

「娘だと思って、いろいろしてあげたいのよ」と言う姑の気持ちが、少し嬉しく思えたのです。

 

母からそんな風に言われることもなかったので、「親以上に私のことを気遣ってくれてるな」という気持ちもありました。

 

でも、これは世間知らずな私の勘違いだったと気づきました。

 

夫の交通事故により歯車が狂いだす

 

夫がバイク通勤していたある日、帰りがいつもより遅いなと気になっていました。

 

子ども達が寝た直後、病院から「事故に巻き込まれ、病院に居ます。奥さん、今から来てください」と電話がありました。

 

どういう状況かわからず、子どもを連れていくことよりもまず私が行こうと思い、徒歩圏内に住む姑に連絡をしました。

 

「〇さんが病院に運ばれました。今から行きたいのですが子ども達が寝ていて…。家に来てもらえませんか」と恐る恐る聞きました。

 

すると「〇は私の息子よ。母親の私が行くべきよ。あんたは3人の子ども達の母親なんだから、あんたがいるべきところは家でしょ。大丈夫よ。逐一病院から連絡するから。」と即切られてしまいました。

 

この時、私はただただ泣いていました。「家に居ろ」と言われたら家にいるしかないんです。

 

逐一連絡すると言われたものの、電話はかかってきません。病院から電話がかかってきて2時間ほど経っていました。

 

これはダメだと思い、父に連絡して病院に行ってもらいました。父からの連絡で、夫の命に別状はないけど、絶対安静だと知りました。

 

父が病院から我が家に来てくれて「もう向こうの親は帰ったから、病院に行っておいで。看護師さんには言ってあるから」と、私が病院に行けたのは、事故から4時間が経った深夜1時でした。

 

姑から連絡があったのは1回だけ。「大丈夫だから」だけです。何がどう大丈夫なのかもわからなかった。

 

病院の夫は痛みに悶絶し、体が小刻みに震えていました。そして「来るのが遅いよ」と怒りました。

 

「来れなかったんだよ」とも言えずに「ごめんね。遅くなって。」謝りました。

 

後に、夫は「あの時あんな言い方してごめんね。来れなかったんでしょ?。オカンが行かなくてもいいって言ったんでしょ?。」と言ってくれました。

 

何も言ってなかったけど、夫はわかってたんです。

 

入院中にも、いろいろあり過ぎて。

 

私は、うつになりました。

 

お盆の光景

この時期になると、帰省の話題がテレビや新聞で取り上げられます。

 

夫の実家は徒歩3分、私の実家は車で15分なので、どこか他人事のように見ています。

 

夫の実家は、田舎の本家です。毎年8月16日はたくさんの人が集まり、高校野球を見ながら大宴会です。

祖母(夫の)が施設に入った年から、少しずつ規模が縮小されました。姑が「おじいさんもいないのに、おじいさんの兄弟は来るし、いつまでも飲み食いされて、なんで私があんたの兄弟の為にしんどい目をせないかんのじゃ。」とキレました(さすが毒舌姑)。

 

舅は集まることが好きなので、今では自分でオードブルを手配してまで続けています。お酒を飲むと、みんな気が大きくなって、言わなくてもいいことを言い合うんです。

 

「Kちゃん(義兄)が長男やけど、Sちゃん(夫)とこは嫁もおるし男の子3人揃ってるから、跡取りはSちゃんに決まりやな。」

 

数年前から、親戚が言い出しました。義兄は多分結婚しないと思います。自分の為だけに生きている人なので、家族といえど意見をするとものすごく怒ります。

同じ家の中で宴会をしているので、義兄に聞こえたのかもしれません。全く顔を出さなくなりました。

 

夫も、あとは頼むぞと言われるようになり、16日の集まりには行かなくなりました。

 

長男次男関係なく、できる者が後継者となって…と数年前まで思っていました。もちろんそれが理想です。

 

でも、すんなりいきません。私だって、跡取りの嫁から逃げたい要素は山ほどあります。また自分の病気のことも鑑みて、できないこともあります。

 

それでも「後継者は夫しかいないんだ」と言われているような状況です。「お兄さんは何を助けてくれますか」とお聞きしても、知らぬ存ぜぬで逃げられます。それを見ても、舅姑は何も言いません。

 

家がどうの、お墓がどうの、親戚付き合いがどうの…。そういうことは、義兄や夫に話すことであって、私や子ども達に説き伏せるように話すことではないと思います。

 

数年前から、こういう話が義兄抜きで話されるようになり、夫も子ども達も夫の実家に行かなくなりました。

義兄は「俺は独身で子どももいない。どうやってこんな家の後を継げと言うんだ。教えてくれよ。俺は何をしたらいいんだ」とキレ気味に話して、会話になりません。

 

お盆になるとご先祖様の話になって、いとも簡単に後継者の話になる…。ここまでこじれると、姑の話を私が義兄や夫にかみ砕いて伝えることは無理です。

 

我が家の寂しい光景です。

 

 

 

今年も、やっぱり…。

長男21歳、社会人3年目。

今夏も、『熱中症』になり早退して帰ってきました。

 

≪彼の職場の環境≫ 大きな建屋の中で、現場作業。各自スポットクーラーはあるけど「全く無意味」で冷えないらしい。

会社自体は、残業が続く。ただ、うちの子は諸事情で定時帰宅。

現場なのでしんどいとは思うが、中学・高校と部活をせず体力がホントにない(本人の自覚アリ)。

 

とにかく、職場の環境が劣悪だと家族に訴えます。先輩や友達の仕事がよく見えるようです。

でも、そういう仕事を選んでしまったのは「学生時代に、自分が楽な道を選んだが故の結果」だともわかっています。

 

仕事内容にやりがいを感じているわけでもなく、ただ漠然と生きている若者です。

 

遊びに関しては、全力投球です。朝帰りもしばしば。遠方に住んでいる趣味友に会いに行きます。

 

ただ、それが過ぎるんです。仕事で疲れて帰ってきても、連絡があれば出かけます。「遊びは別」と言ってますが、「別」の体力が彼にはない。

 

そして、どんどん蓄積されて盛夏の時期にマーライオンに変身して倒れるんです。

 

彼は全部わかっています。

学生時代の自分が今の自分を形成したこと。みんなが部活で汗を流しているときに、「先生が気に食わない。あいつと一緒にいることがムカつく」と人のせいにしかしなかったこと。

 

親である私達も何度となく話し合いをしましたが、それだけでは彼の心に響かなかったんです。

 

子は親の鏡と言われるように、私の不安定要素が伝わってしまったんだと思います。

 

だから、彼が熱中症になって「会社の環境がどうのこうの…」と言い出すと、私はこの子をちゃんと育ててやらなかったと言われているように思えるんです。

 

いい方向に導いてやれなかったのは、私のせいなんじゃないかと。

 

今日も体調が悪くて、休んでいます。ソファを独り占めにし、YouTubeを大音量で見て、おやつも飲み物もなんもないとため息をついています。

 

我が家の、熱中症の裏事情です。

 

 

 

姉弟仲の良し悪しは、親が左右する

私には2歳下の弟がいます。

 

弟は中学生になったころから少しずつ荒れていき、高校に入学してもあっという間に退学することになりました。

 

中学生の時から家には帰ってこず、そのうちどこにいるのかもわからなくなりました。

 

勝手に友達から借りたお金の督促や、税金の督促など電話が鳴りっぱなし。

 

帰ってきた形跡があって、その日に私の貯金を持ち逃げしてまたいなくなりました。

 

弟は小さいころから嘘ばかりいう子で、いつも父に怒られていました。「その根性を直せ」と怒られて入部させられた剣道も芽が出ず、しかしやめたいということができずに10年通いました。

 

弟が家からいなくなって、母は余計にイライラするようになりました。家でのイライラと仕事でのイライラを、私にぶつけるしかなかったんだと思います。

 

そんな弟も、実家から離れた土地で家族を持ちました。仕事も、うまくいっているようです。

 

そんな弟との仲を「あんたが嫌うから仲が悪い。平等に育てたのに。」という母。仲が悪いというわけではなく、用事がないから会うこともないんです。

 

私と弟がそれぞれ結婚して、「実家にきてご飯でも食べよう」と親からは言われたこともありません。弟家族が来ているから「みんなでご飯に行こう」と連絡もありません。

 

それでいて「仲が悪い」と言われるので、数回食事会の提案もしました。弟の連絡待ちの時点でお流れになります。弟が忘れていたり、休みが合わないんです。

 

母にそのたびに「また今度ね」と言うと、「あんたんとこが休みを合わせれば、すぐに決まるのに」と言われる始末。

 

父も母も、姉弟(私にとって叔父・叔母)の集まりがありませんでした。一緒に住んでいる祖母との食事もありません。

 

私はそういう集まりの楽しさも、段取りの仕方も知りません。母は、弟家族と私の家族とわいわい言いながら集まることを楽しみにしているのかもしれません。

 

いろいろと「あんたが悪い」と言われることもあったけど、弟との関係で「悪い」と言われるとはショックでした。

 

腐っても鯛。遠くに住んでいても、大事な長男。

 

弟の休みに合わせて夫に休みを取ってもらうように言ってほしいとか、バーベキューをしたことないからしてやってくれとか、花火大会に連れて行って屋台を見せてやってくれとか。

 

弟の為にあれこれやってほしい、と丸投げ。あんた暇なんだから、そのくらい…。

 

これ以上、我が家に何を求めるつもりなんだろう。

 

これって平等じゃない!。

 

平等に子育てするのは不可能です。個人の性格もあります。時代背景もあります。

 

子は親の鏡なんです。それがよくても悪くても、親は受け止めるしかないんです。

 

 

嫁の役割

 

 

私がうつ病になった時、数年間はしんどくて動けない毎日でした。

 

それが、フッと目の前が明るくなり心も体も軽くなったのです。

私は「治った」と思っていましたが、躁状態だと知りました。

 

高価なものを考えずに買い、常にハイテンションでした。頼まれごとも嫌だと思わなかったし、「頼られてる」という感覚が心地よかった。

 

でも、引き受けたことができないんです。頭が回らない、長続きしない。人に偉そうにアドバイスしながら、あとで「あんなこと言ってよかったかな」と考え込んでしまうんです。

 

心と体と頭が一体となって動いてくれず、それがショックでまたうつ状態になる。それの繰り返しです。

 

私がこの変なループから抜け出すきっかけになったのは、姑と話したことです。

姑はまるで自分の子どもを育てるように、夫・私・子ども達と密な関係でいることを求めていました。

 

病気になってもそれが続き、説教じみた話をされるのが辛かったんです。「結局、怠けて現実を見ようとしてない」と言われることが本当に辛かった…。

 

あまりに理解がないので、夫と姑と医師で話をしてもらいました。私は姑が怖くて行けませんでした。

 

後日医師と診断で「距離を置きましょう。理解できない方に、無理に理解してもらわなくていいんです。何も気にしなくていいですよ。治療のために必要です。何か言われたら『医師からそうするように言われた』と言ってもいいですからね」と言っていただきました。

 

医師と面談した姑は、苛立っていたようです。それから、前のように我が家には来なくなりましたが、会うたびに「病は気からなのよ。なんだって頑張ればできるのにね」と言われるようになりました。

 

言われることで、私の中の何かが緩んだんです。

「もう、言われるがままの生き方は止めよう」と思いました。

 

舅・義兄・夫は、姑とまともに口を利きません。それは結婚当初から感じていた違和感です。

そこに私が入り、みんなのパイプ役になっていました。食事会の提案をしたり、旅行の提案をしたり、その場だけでも「家族」の形になっていました。

 

私が病気になったことで、パイプ役がいなくなった夫実家は「家庭内別居」状態です。それに罪悪感を感じていました。

 

でも、もういいかなと思います。22年間、あの人達をつなぎとめることが私の役目かと頑張ってきましたが、私には他人の家族を修復することは無理です。

 

もういいかな、と思えるようになってから、少しずつ軽くなってきました。

 

舅姑との付き合いは難しいですが、自分にできることを無理せずに…。そこにもう少し早く気づけばよかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姑との距離

姑 説明書

①よく喋る。

②人をみて、対応が変わる。

③過干渉

④自分が正しいと譲らない

⑤家庭崩壊         etc…

 

 

 

①について。とにかく話が長いです。世間話にしても説教じみた話でも、一つの話題が終わると「そうそう…」と次の話題に変わります。途中で席を立つこともできないので、姑の周りには話し好きな人しか集まらない雰囲気です。

 

 

 

②について。自分より立場が下だと思った人には、すごく偉そうに話します。ちょっとしたことで店員さんにキレたり、小さな子を連れたお母さんに「まあ、最近の子は」みたいにプチ説教をします。同年代でも、相手が上だと感じたら(医師・金持ち・元教員など)、「〇〇さんは、言うことが違うわあ」と共感するふりをします。

 

 

③について。我が家のことにおいて、全てに干渉します。パパの実家はすぐ近所で、小部落は違いますが地区は同じです。近所はパパが小さい時から知っている方ばかりなので、我が家にはいろんな目が向けられています。

※「〇〇さんが『嫁さんの車は全然動かない。』って心配してるけど、あんた1日中家にいて何をしてるの?」

子育てにおいては、自分の子育てを私にさせようとします。

※「(パパ)は牛乳が好きだったの。体にいいから飲ませなさい(1歳の頃)」

 

 

④について。自分が中心に家が動いていると思っています。だから、今まで困難を乗り越えられたとよく言います。私から見ると、「乗り越えた」ではなく「振り回されるからそれが嫌で、全部思うようにさせる」が合っています。

 

 

⑤について。結婚した時から感じていた違和感なのですが、舅・義兄・パパと姑の会話が変です。言葉のキャッチボールができていない。姑に対して必要事項しか話さないんです。感情を口にしません。「今日しんどかったよ」とか一切ないです。笑顔もほぼ無いです。姑が一人ケタケタ笑っていて、それも私と子ども達相手限定です。家族だけど、家族の温かみはなく、お互いの生活を維持するためだけに一緒に住んでるような気がします。

 

 

 

 

こんな姑なので、我が家(特に私)への干渉は自分の家族でできないことをしているんじゃないかとも思います。

 

パパは「自分たちのやり方でするから」と逐一言ってくれましたが、姑にしたら「息子はそんなことを言わない。嫁に言わされている」と思っていたようです。

 

パパが交通事故にあい、6か月の入院をすることになったあの日。姑は私に何もさせずに、全部自分で仕切ったんです。パパは私が姑に任せたと思っていたようですが、私は何もさせてもらえなかったんです。

 

それがショックで、病気になりました。パパも姑と距離を置くようになってしまいました。

 

姑の愛してやまない弘法大師様や仏教用語に、『因果応報』という言葉があります。

姑の寂しい老後は、舅がそうさせた 嫁が息子をとったと言いますが、めぐりめぐって人様にしたことが自分にかえってきただけのことです。

 

家族から愛されないし、全部人が悪いという人のそばに誰が寄り添うのでしょう。

私は長年、「自分の人生は舅のせいで何も楽しくなかった」と言う姑に寄り添ってきましたが、心が止みましたので放棄します。

 

 

 

それでも、母とも姑ともうまくいかない私が悪いのか…と思う気持ちは、私の心から消えません。

 

 

 

 

 

母との距離感

数か月、母と話してもいないし会ってもいません。

 

母に対して「そんなこと言われても、嫌なんだよ…」という思いが少しずつ溜まっていくのに気づいていました。

それがあるきっかけで、嫌が拒絶に変化してしまいました。

 

母が重いとでも言うと、ニュアンスが似ています。

幼い時から、「ああしなさい。こうしなさい。」が当たり前で、母の言うことは正義だと信じていました。

「うるさいな。」と思いつつも、母の言う通りにすれば私は正しい道を歩くことができると思っていたんです。

 

母が正義だと信じていた私の心に、少しずつ?が増えてきたのは病気になってからでした。

 

私の実家は父方の祖母と同居していて、私が物心がついたころから祖母と母の仲は険悪でした。

父は出張で留守がち、祖母は私をも邪険に扱うので、母と「ばあちゃんは意地悪ばあさんだ」みたいな話でお互い慰めあっていた記憶があります。

 

母は私が結婚してからも、会うと開口一番に「ばあちゃんにこんなこと言われた。辛い。」と愚痴を言っていました。

母の辛さもわかっていたので、愚痴聞きは私の役目かな~くらいの軽い感じで聞くことができました。

 

だから私が病気になった時、母に心の内を話してみたんです。

ところが「そんなことくらいで…」と言われてしまいました。ショックでした。

 

病気になって、「辛かったでしょ。」と言ってほしかったし、聞いてほしかったんです。

 

母との関係に少しずつ違和感を感じ始めた頃に、観たドラマです。

 

お母さん、娘をやめていいですか? - Wikipedia

 

 

母と斉藤由貴さんの役が、同じに見えました。

 

以前からそうなのですが、母は自分からは連絡してきません。

私が電話をするか、月に2回ほど実家に行くかです(今ではそれもやめています)。

 

親が結婚した子どもの家に行くのがみっともない、と思っているようです。子どもが親の様子を伺うのが筋だ…とも思っています。

 

だから、私が連絡しなくなっても母からは音沙汰がありません。

 

何故こうなったのかも伝えましたが、泣かれました。「私は一生懸命してきたのに」と。

 

それは、母目線でやってきたことです。祖母にバカにされないように、ちゃんとした子どもを育てなければいけないというプレッシャーがあったんでしょう。

 

でも、子ども目線で見るととんでもない家でした。すべてにおいて制限があり、その中でしか生きられなかった。子どもを育てるというより、祖母にいろいろ言われないような子孫を育てるとでも言えばいいのでしょうか。

 

母は、そのことに気づいていません。祖母さえいなければと毒づきます。

 

人は許さないと前に進めない、と言う人がいます。私は母との関係に気づいてから、心が軽くなりました。

 

でも、母は祖母を許していない。そんな怨念じみた話を、会うたびに聞かされる私は、母と距離を置こうと決めました。

 

親だから、感情を共有することは正解じゃないんです。私は「母の親」じゃないんだとやっと気づきました。

 

母さん、ばあちゃんを許してやろうよ。